ユビキタス、人工知能の欲望

 ユビキタスコンピューティング.Mark D. Weiser による定義はさておき,この言葉を標榜した最近の研究の動機について考えた.ユビキタス研究には,人工知能研究後の研究者がもつ欲望が隠されているように思われる.もちろん,これらの研究にはコンピュータユーザの利便性・操作性の向上といった,正当な動機はあるだろう.しかし,それ以外の動機も隠蔽されていると考えた.
 その動機とは,実世界をコンピュータが理解しやすい状態に変容させたいという研究者の欲望である.具体的に表現すると,電気的なIDタグやコンピュータなどを実世界の空間に偏在させて,コンピュータ自身の実世界の認識を容易にするという欲望である.
 この欲望の根源は,昔の人工知能の研究における,コンピュータの実世界認識の困難性であると考えている.ようするに,単独に個体として実世界を認識する賢いコンピュータの開発の困難性を回避する新しい開発方針として,実世界そのものを,コンピュータにとって理解しやすい状態(ユビキタス環境)にしたがっていると考えることができるのである.
 このような動機の問題点は,それが隠蔽されているということである.現在のパラダイムのなかでは,コンピュータユーザを顧ず,知性のみを目指して研究をするのは,容認されにくいことであるらしい.そのため,この欲望は隠蔽され,「使いやすさ」という歪んだ形の動機が表明される.